ベテランの社会人であれば、この議論はもう聴き飽きているだろう。中高年には仕事がなくなる。ゼネラリストは役に立たない。一〇年一日、それどころか二〇年一日の議論である。事態はなぜ変化しなかったのか。日本企業そして企業社会は、中高年のダメなゼネラリストを抱えながらも、意外に健闘したのである。健闘どころか、八〇年代には世界の経営のモデルにもなりかけていた。だから、企業はあまり仕組みを変える必要がなかったのである。
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社員も保守的であった。保守的−つまり昔の社員と同じようにゼネラリストを志向する。成功して昇進する確率は、あまり高くない。その意味ではリスクがある。大企業で社長になれる確率は、ブロードウェーの主役になるのと同じくらい難しい。にもかかわらず誰も勝負から降りない。その理由は、負けても失うものが意外に少ないからである。ゼネラリストとして成功しないより、スペシャリストとして成功した方が、それは幸福だろう。しかしゼネラリストとして成功しないことと、スペシャリストとして成功しないこととの間には、大きな格差がある。だからスペシャリストを指向することは、リスクなのである。少なくとも今まではそうだった。こんな議論を、二〇年前と何も変わらないといって放っておくことができなくなってきている。ゼネラリストにリスクが少ないのは、自分が勤める会社が「自立的な存在として存続し続けている」ことが条件だが、それが難しくなってきているからである。要は、会社というものが、以前ほどには安定的な存在でなくなったのである。